知人に勧められて読みましたが、「学んで終わりではなく、考え知の体系を構築する」「落ちこぼれるを恐れるな」「愛するとは」自分にとって新しい気づきがありました。
1.知の体力とは
小中高校で学んだことを知識として蓄えて、脳の引き出しの奥にしまっておいては意味がありません。社会に出ると「答えのない問題」に何かしらの答えを出すことが必要であり、高校生までにに学んでいた1つの問いに対して1つの答えがあるという状況はありません。
知の体力とは小中高校、もっと言うと、人生これまで学んできた知識を今後の社会で使えるものにすること、筆者は「知の体系を個々の事情、状況に応じて再構成する」と言っています。
私は、「これまで学んできた知識を足したり、かけ合わせたりして自分の答えを出す力を身に付ける」ことだと認識しました。
特に、大学、大学院では自分で答えを見つけるために模索することが大切だと言っています。今振り返ってみると社会人になるまでそのように考えてきたことはなかったと反省しています。
2.学生の落ちこぼれる経験を恐れない
現在の大学の教育では、すごく親切に落ちこぼれが出ないように、大学、保護者が協力してケアして、一定のレベル以上の学生を輩出していこうというような風潮があるようです。また、社会人で後戻りのできない状況で初めて落ちこぼれを経験し、精神的に追い詰められるのはとても危険と警鐘を鳴らしています。
この意見には非常に賛成です。大学で率先して落ちこぼれろと言っているのではなく、
「みんなが落ちこぼれれないようにレベルを設定するのではなく、たとえ少人数でもその分野に本当に興味を持てる学生を生み出し、かつ彼らが自分の裁量でどこまでも知識を得ることができるような体制を構築すべき」
です。レベルを下げてた環境でなんとなく卒業してしまうと、「自分はできる」と勘違いして、少し上のレベルを目指して、社会人になって初めて挫折を経験することがあります。
二足の草鞋の理由
筆者は研究者と歌人としての二足の草鞋を履き続けているそうだが、
二つの世界の<私>が互いに照らしあう関係、相対化しあう関係はすこぶる風通しが良い
<自分のいる場所はここだけ>という閉塞感から自由になった
といっていました。この考えは非常に大切で、1つの分野で挫折しそうな出来事があって、「もうだめだ」となっても、他方の私が「問題ない」と手を差し伸べてくれるイメージです。
3.愛するとは
特定の<相手>の前に経つと自分がもっと輝いていると感じる状態
今まで考えもしなかった考えに、鳥肌が立ちました。今まで私の中では愛=利他的(相手のことを想う)と思っていましたが 、自分が輝いていると感じられるという自分視点ある意味利己的な感覚でもいいんだと。
まとめ【知識は自分の状況に応じて体系化して使えるように】
日々考えて生きよう!!
著者が大学教授であることもあり大学教育について論じられているところが多いですが、「一生涯」当てはまる考えと思いました。常に勉強して知識を増やして、自分の中に落とし込んで、答えのない問題に解を見出す。社会人になってから苦労するよりも学生のうちに知っておくといい考えだと思いました。
一部しか紹介できていませんので、気になったかはぜひ手に取って読んでみてください。
最終更新日:2021年5月17日